おうちで映画三昧のススメ:『太陽と月に背いて』に見る“愛”の複雑さ
19世紀末の詩人ランボーに扮したレオナルド・ディカプリオが、破壊的に美しい『太陽と月に背いて』に見る「愛」とは?
■主軸は2人の詩人の「愛」
もちろん予備知識があったほうが、本作を、より楽しめるはずですが、それがなくても私がストーリーに引き込まれた最大の理由は、2人の「愛」が軸になっているからでしょう。
「愛」と一言でいってしまうと、単純な印象を与えますが、本作の「愛」はあまりにも複雑すぎて、この表現が正しいかどうかは迷うところです。
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■美しいものも醜悪なものも
結婚していながら、同性の年下詩人ランボーと共に放浪生活に出て、挙句の果てには、相手に発砲する事件を起こし、2年の獄中生活を送ったヴェルレーヌ。
妻もいる同性の年上詩人ヴェルレーヌの家にずうずうしく入り込み、離婚の原因になった挙句、発砲されるほど痴情のもつれを招いたランボー。
そこには、純粋で崇高な「愛」があったかもしれませんが、「執着」「独占欲」といった、複雑で醜悪なものまでも全部含めて「愛」と呼べるのだと思うのです。
本作は、本来、美しいものを称える「詩人」が、常軌を逸して貫いた「愛」を軸にし、それがむき出しになっているがゆえに、わかりやすくも鮮烈な印象を与えるのでしょう。
もし恋愛に関する悩みを抱えているのなら、こうした愛と憎しみ、両極がからみあった本作に、ヒントがかくれているかもしれません。
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(文/fumumu編集部・尾藤 もあ)- 1
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