命がけで国を出ようとする人々がいる現実をイラン映画『熊は、いない』から考える
イランが抱える問題をあぶりだすジャファル・パナヒ監督の『熊は、いない』が9月15日公開。
イラン政府から映画製作を禁止されたジャファル・パナヒ監督が、極秘で撮影し、ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞を受賞した『熊は、いない』が9月15日から公開になります。
厳格なイスラム国家であるイランを舞台に、命がけで国外逃亡をする人々の姿をドキュメンタリータッチで描く本作から、「自由」と「規律」について考えてみましょう。
■映画製作を国から禁止された監督
9月15日公開の『熊は、いない』は、ジャファル・パナヒ監督自身が、映画監督の本人役として登場。実際パナヒ監督は、イラン政府から、2010年に「イラン国家の安全を脅かした罪」として、20年の映画製作と出国の禁止を言い渡されているのです。
劇中では、そのパナヒ監督が、イラン郊外の村に滞在し、リモートで撮影指示を出す場面からスタート。国外逃亡を企てる男女2人を描く映画を撮影中ですが、同時に、監督が滞在中の村でも、1人の女性を巡って、2人の男性が争っているようなのですが…?
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■それでもなお紡ぐ「希望」
パナヒ監督は、「イラン映画の歴史には検閲を押し返し、この芸術の存続を確保するために奮闘してきた独立系の監督たちの存在が常にありました。この道を歩む中で、映画製作を禁止される者もいました。それでも、再び創造するという希望が、存在理由なのです」と語っています。
つまりパナヒ監督は、本作で、イランにはまだ抑圧的な社会問題が現存する「事実」を、映画という「虚構」を通じて描くことで、「希望」を紡いでいるといえるでしょう。
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■命をかけるに値するか
一方、本作で国外逃亡を企む女性役を演じているミナ・カヴァニも、イラン出身の女優ですが、かつて主演を務めたフランス映画で、ヌードシーンが含まれていたため、イラン政府から国外追放されています。現在では、亡命先のフランスを拠点に活動していますが、このミナの例も、イランという国が抱える抑圧的な社会問題から引き起こされた「事実」です。
自由を手に入れるため、命がけで国を脱出しようとする人々がいると同時に、規律を重んじて、抑圧されたまま国に残る人々もいます。それは、現在の私たちが住む同じ地球上に存在しているのです。
どちらが正しいか間違っているかではなく、人生の選択をする時、その先の道が、自身の命をかけるに値するか、本気で考える覚悟が必要なのかもしれません。
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『熊は、いない』
9/15より新宿武蔵野館ほか全国順次公開
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(文/fumumu編集部・尾藤 もあ)