■フランスが舞台だと…?
ですが、「ものの見方を変えるヒント」という意味では、フランス・パリが舞台のオリジナル版のほうが、個人的には強いと思っています。
というのも、フランスは、アメリカ、特にニューヨークに比べて、「移民」=「フランス外からやって来た人」といった定義が、はっきりしているから。
オリジナル版のドリスは、フィリップと同じ「フランス人」ではあるものの、「フランスにやって来た移民」としての印象が、アメリカ版より濃く残るといえるのです。
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■立ち位置によって変わる「ものの見方」
ところで、心理学には、「メタ認知」というものがあります。
ビジネス用語としても、昨今見かけるこの言葉の意味は、「自分が認識していることを認識する」。例えば自分がいま怒っていると感じたら、「あーいま私は怒ってるんだなー」と、自身の状態を客観的に見て気づく力だといわれています。
つまり、「ものの見方」は、見る者の立ち位置によって変わってくるもの。
フィリップは、自分を「障がい者」「他人の手を借りて生きていくのは辛いから、長く生きるつもりはない」と考えています。ところがドリスは、フィリップを「障がい者」として扱いません。フィリップが、「自分は障がい者だからできない」とあきらめていたことを、ドリスは次々と実現させていくのです。
フィリップには、ドリスという最強のパートナーができましたが、私たち自身も、自分の中にドリスを住まわせることはできます。
「私は○○だから無理」と思ったら、あなたのドリスはなんと言うでしょうか?
「あーいまあんたは○○だから無理だと思ってるんだろ?」などと、笑顔を向けてくれるかもしれません。
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(文/fumumu編集部・尾藤 もあ)- 1
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