小籔千豊、“いつ死んでもいい”と思っていた後輩芸人を救っていた 「感謝してもしきれない」
ヤングケアラーだった平成ノブシコブシ・徳井健太さんが、先輩芸人の小籔千豊さんに救われた過去を明かしました。
2日放送の『日本怪奇ルポルタージュ』(テレビ東京系)では、「ヤングケアラー問題」を特集。
お笑いコンビ・平成ノブシコブシ(吉村崇さん、徳井健太さん)の徳井さんが、お笑いタレントの小籔千豊さんに救われていた過去を明かしました。
■ヤングケアラーだった徳井
今回番組が取り上げるヤングケアラーとは、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子供を指します。
中学生の時、母親が統合失調症を発症してからずっとヤングケアラーだった徳井さん。父親は単身赴任で遠く離れて暮らしていたため、家事や母親と妹の世話など、全て徳井さんが担っていたと言います。
もっとも、当時は自身がヤングケアラーだという認識もなく、当たり前だと思って日々の生活をこなしていた徳井さん。東京で芸人になりしばらくして、病気だった母親は自ら命を絶ちます。
そのような家庭環境で育った徳井さんは、大人になってからもずっと「いつ死んでもいいと思ってた」「死んだら楽になるのになぁと思ったまま、35年間ずっと生きてたんで。別にどうでもよかったかな」と、心に闇を抱えながら生きていたと明かしました。
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■「いつ死んだっていいみたいな生き方してた」
そんな徳井さんですが、35歳の時に、恩師と呼べる存在に出会います。それが先輩芸人である小籔さんでした。
徳井さんは「小籔さんに会ってなかったら、ほんとに44(歳)にもなるおじさんが、いつ死んだっていいみたいな生き方してたと思うと、ゾッとします」と振り返ります。
小籔さんに出会うまでは「挨拶っていう概念とか、感謝とかいう概念、マナーという概念、俺知らなくて」「母親は何にも教えてくれなかったし、父親も離れて暮らしてたんで」と言う徳井さん。
芸人になってからは「そういう俺のクレイジーな部分『おもろいな』って言われるようになって」「これでいいんだと思って35(歳)まで生きてきた」と、ある意味常識知らずな部分があったと言います。
しかし、そんな徳井さんを小籔さんが「あかんで」と注意し「めちゃめちゃ丁寧に接してくれた」のだそう。
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■「小籔さんがいなかったら絶対今仕事ない」
徳井さんは「それも1回や2回じゃなくて、俺みたいなガキを、ずっと良いご飯屋さんとかに連れて行ってくれて」と、小籔さんが何度も時間をかけてマナーや振る舞い方を教えてくれたと明かします。
たとえば、初めて寿司屋に連れて行ってもらった時、小籔さんは出された寿司を「早く食べろ!」と言い「目の前で大将が握ってくれたんだから、すぐ食べるんだ」と教えてくれたそう。
また、神社に行った時は「お賽銭するっていうことは、その神社を掃除してくれてる人の給料になるから払うんだ」と、感謝することの大切さを教えてくれたと言います。
そのようなことを小籔さんは1〜2年かけて教え続けてくれたため、徳井さんは徐々に感謝やマナーを理解できるように。「小籔さんがいなかったら絶対今仕事ないと思うし、ほんと感謝してもしきれないぐらい」と、深い感謝を述べる徳井さんでした。
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■ヤングケアラーを救うためには「小籔さんみたいな人が現れるしかない」
ヤングケアラー問題について、徳井さんは、自身がそうだったように当事者は「当たり前の環境」だと思い込んでしまっていることから、救済が難しいと指摘。
ヤングケアラーを救うためには「小籔さんみたいな人が現れるしかないと思います」と言い、ヤングケアラーの子供がいる家庭に「土足で踏み込む勇気と鍛錬が必要」と明言しました。
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(文/fumumu編集部・大島 あひる)