「好き」と「性欲」と 自分に合った価値観を見つける一つの選択肢として<後編>

アダルト業界の作り手側で働く女・るいが、無限に広がる「性」の世界…ファンタジーを通して見る「リアルな性」の話を、本音でお伝えしていきます。

本音で性の話がしたい

アダルト業界の作り手側で働く女・るいが、無限に広がる「性」の世界…ファンタジーを通して見る「リアルな性」の話を、本音でお伝えしていきます。

★前編・そして、これまでの話はコチラ



■理想の自分との乖離

前編では、【ロマンティック・ラブ・イデオロギー】を盲信していたはずの私が、「不特定の人とのセックスに大した感情を抱かない自分」に気づき、信じていた自分像と実際の自分の齟齬に悩むようになるまでをお話してきました。私は徐々に「性に対して理想像から外れている自分が、交際をしていていいのか?」という思いに苛まれるようになっていました。

彼氏のBくんはロマンティック・ラブ・イデオロギーを体現したような人でした。私があるとき「サークルの資金集めのために大学でコンドームを配った」と話したら、「ヤリマンみたい」と嫌悪感を露わにされたこともありました。そんなBくんだったので、「不特定の人とのセックスに嫌悪感を覚えない」私のことはきっと受け入れられないだろう、と思いました。

私はBくんの期待に沿えないことが申し訳なく、徐々に精神的に不安定になり、泣きながら「きっとBくんにはもっといい人がいるから別れよう」と訴えました。Bくんは驚きながら「そんなことない」と言ってくれましたが、申し訳なさは増すばかりでした。けれど「一度決めた好きは貫かなければならない」という固定観念から、自分の性に対する違和感は無視し、「好き」→「結婚」の期待に沿おうと思い、しばらくは交際を続けていました。

結局のところ、「期待に沿えない」のが問題なのではなく、「Bくんの好きな私像が実際の自分とは乖離していた」のが問題だったのだ、と今となっては思います。そしてその「Bくんの好きな私像」は、「私が思い込んでいた自分像、今まで振舞ってきた自分像」でもありました。「好き」だから「セックスしたい」私。それが「正しい」と思っていた私。

Bくんは同じような価値観を持ち、私のふるまいを信じてくれていました。自分がこの正しさから外れた人間で、この自分の気持ちは捻じ曲げられるものではない、と気付いたとき、私はBくんとの別れを決めました。



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■自分の「正しくなさ」との葛藤

Bくんと別れてからの私は、「もう二度と誰かと交際することはないだろう」と思っていました。「不特定の人との行為に感情を抱かない私は、きっと恋愛的にも特定の誰かを大切にすることができない」と思っていたのです。むしろ「交際してはいけない」とまで思い込んでいました。

同時に、「自分は行為に対して大した感情を抱かないけれど、一般的には『性欲=好き』なのだ」という意識は変わらないままでした。自分が「正しくない」のだ、おかしいのだ、と思ってしまっていたのです。

この意識は「自分から性欲を見せてはいけない」という考えを生み出し、「セックスに持ち込まれる」ことはあっても「セックスに持ち込む」ことはしてはならない、と自分をがんじがらめにしていました。相手の性欲を見るのは好きで、相手の性欲は「好き」だと捉えないのに、自分の性欲は良くないものだ、「好き」と勘違いされるかもしれないと思っている、これまた齟齬のある状態が続きました。

どんなにいい雰囲気になっていても、かたくなに自分からセックスに持ち込もうとしない私に対して、当時のセフレ(…という言葉は好きではないのですが、ここでは便宜上使います)たちは、笑いながら私に「セックスしたい」と言わせようとしたものです笑。

続きを読む ■「ありたい自分」に気付けたとき

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