「好き」と「性欲」と 自分に合った価値観を見つける一つの選択肢として<後編>

アダルト業界の作り手側で働く女・るいが、無限に広がる「性」の世界…ファンタジーを通して見る「リアルな性」の話を、本音でお伝えしていきます。

■「ありたい自分」に気付けたとき

そんな私を変えるきっかけになったのが、今の彼氏Cくんとの出会いです。

Cくんとも、付き合うより先にセックスをしました。「この人とならセックスしてもいいな」と思っていたところに、向こうからの誘いがあり、行為に至りました。そして、初めて性欲が満たされた上で「この人と付き合いたい」と思えたのです。

大きな要因は、お互い付き合う気は全くなかったのですが、その上でCくんのセックスがとても丁寧で思いやりにあふれていて、かつ性欲が感じられるものだったことです。私は、セックスで好意を持たれることを恐れるばかりに、相手に対して思いやりや優しさといった感情を持つことを避けていました。そんな私だから、相手も「ただ性欲を満たしたい」という人ばかりが集まってきていました。

そんな折にCくんが、好意とは関係なしに思いやりのあるセックスをしている姿を見て、「『好き』と『性欲』を分けて考えて、かつその上で心のこもったセックスをすることは可能なのだ」と思わされ、【こうありたい自分像】に気付くことができたのです。そして、「この人は私と同じように『好き』と『性欲』を同一視しない人だ」と安心して交際を申し込むことができました。

価値観に「正しい」「正しくない」といったものはなく、無理のない自分でいていいのだ、と今まで自分をがんじがらめにしていたものから解放された瞬間でした。


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■自分から出てくる価値観を大切に

今の私は、各々の価値観に「正解」や「間違い」というものはないと思っています。自分の価値観を決めるのは、まぎれもない自分自身です。

私は「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」を世間的に植え付けられ、守らなければいけないもののように思ってしまっていました。結果、本来の自分との齟齬に苦しみ、交際や性行為に対してどこか違和感を感じたままとなってしまっていました。

今私は「好き」と「性欲」は別物、という価値観で交際やセックスを楽しんでいますが、これを他人に強制したりすることもまたおかしな話だと思っています。価値観は「自分の人生の積み重ねで、自分から出てくるもの」だと思うからです。正解不正解はなく、ただ「各々の価値観が存在する」だけなのだ、と思います。

今の日本では、ロマンティック・ラブ・イデオロギーはまだかなり根強く浸透しています。でもこれには「正しさ」はなく、また強制されていいものでもありません。ただの「価値観の一つ」であって、選択するかどうかは自分で決めていいものだ、と私は思っています。自分が違和感を感じてまで、無理に受け入れる必要はないのです。もちろん逆もまた然りで、否定されて良いものでもありません。そして、そういった価値観が合う人との出会いは奇跡で、喜ぶべきものなのです。

多くの人が、自分から出る価値観を大切にし、自分なりの「好き」と「性欲」とのバランスを見つけながら、それが合う奇跡の出会いを楽しめればいいな、と願っています。

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(文/fumumu編集部・るい

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