吉沢亮演じる渋沢栄一ってどんな人? 『青天を衝け』の主人公に迫る

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■幕臣としてパリ万博へ

そしてその3年後の1866年に、慶喜が江戸幕府第15代将軍になったため、渋沢は江戸幕府に仕える「幕臣」に。さらに翌年の1867年、フランスのパリで行なわれた万国博覧会に、幕府使節団の一員として渡仏、ヨーロッパを視察しています。

1867年のパリ万博は、当時のフランス皇帝、ナポレオン3世の勅令で開かれたもの。フランスの勢力を象徴するように、華々しく大規模に開催されましたが、その3年後の1870年、ナポレオン3世は失脚し、共和政が成立することからも、世界全体が「『平等』に目覚めていく過渡期」だったといえるでしょう。



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■「利益は独り占めしない」哲学

後に渋沢が記した『論語と算盤』は、こうした時代の流れに沿いながらも、合理主義者となった渋沢の経営哲学が凝縮された名著とされています。この中で渋沢が唱えた「道徳経済合一説」とは、道徳と経済の繁栄は両立させてこそ意味がある、つまり、いくら利益を出しても、それを独り占めしていたら意味はなく、社会のために役立てこそ価値があるとする考え方です。

倒幕派だったのに幕臣になったりと、一見「流されやすい」「信念がない」と批判される可能性もある渋沢ですが、この「道徳経済合一説」を聞けば、渋沢がどれほど情のある合理主義者であったかがわかるはず。「社会のために役立つ」という信念があるからこそ、時代に合わせた生き方を選ぶ柔軟性があったといえるでしょう。

また、元の君主である江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜の伝記を『昔夢会筆記』としてまとめていた渋沢。「人のため」に、自分を「臨機応変に変える」ことが、いまの一番生きやすい方法なのかもしれません。

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(文/fumumu編集部・尾藤 もあ

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