30日放送の『TOKIOカケル』(フジテレビ系)に嵐の二宮和也さんが出演。
デビュー後しばらく低迷していた芸能活動、そして変わったキッカケについて言及しました。
■仕事が無かった時代
この日、MCの国分太一さんに嵐としてデビューした後、個人仕事は順調に増えて行ったのかと問われた二宮さんは「本当に何もなかったんですよ、仕事が」とまさかの告白。
デビュー5年後の2004年ごろ思うように仕事が入らず、「みんな個人で働いてて俺だけ何もやってなかった」と人知れず悩んでいたことを明かしました。
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■仕事をしている感覚だけでも欲しい
当時手にしていた給料明細には、現在のようなバラエティやドラマなどは一切なく、ラジオや取材のみが連なっていたそう。
「死んじゃう」と思った二宮さんは、「なんでもいいから、仕事してる感覚だけでも欲しかった」と振り返ります。その思いは、事務所に何か仕事はないかと直訴するほどにまで膨らんだと語られました。
そして、その時参加オーディションが、あのクリントイーストウッド監督が制作する映画『硫黄島からの手紙』だったとのこと。今思えば、二宮さんの新たな第一歩はここから始まったのかもしれません。
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